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核・原子力関連年表1(〜1945年)

1789年     この年、ドイツのマルティン・ハインリッヒ・クラプロート、ウランを発見。 1828年     この年、スウェーデンのヨンス・ヤコブ・ベルセリウス、トリウムを発見。 1895年  11月 8日 ウィルヘルム・レントゲン、X線を発見。 1896年   3月 1日 アンリ・ベクレル、ウラン放射線を発見。 1901年     この年、レントゲン、第1回ノーベル賞受賞。 1903年     この年、アーネスト・ラザフォードとフレデリック・ソッディ、原子崩壊説を提唱。     この年、フィリップ・レナード、原子の内部は稀薄な構造になっている事を確認する。     この年、ベクレル、ノーベル賞受賞。 1904年     この年、長岡半太郎、原子模型の理論を発表。 1905年     この年、アルバート・アインシュタイン、特殊相対性理論を発表。 1908年     この年、ハンス・ガイガー、放射線測定器ガイガーカウンターを開発。 1911年   3月 7日 ラザフォード、ガイガー、マースデンら原子模型を発表。     この年、オーストリアのヘス、気球で宇宙線を測定。 1913年     この年、ボーア、原子構造の量子論を発表。     この年、高峰譲吉、国民科学研究所の必要性を提唱。 1915年  11月15日 アインシュタイン、一般相対性理論を発表。     この年、理化学研究所創立決定。 1917年  11月 7日 ロシア革命。 1919年   5月29日 アーサー・エディントン、皆既日食をアフリカのプリンシペで観測し、相対性理論を証明する。   6月    ラザフォード、α線を窒素原子に衝突させて原子核の人工変換に成功。 1920年   6月 3日 ラザフォード、英国学士院で中性子の存在について検討。 1923年     この年、アーサー・コンプトン、コンプトン効果を発表。 1927年     この年、コンプトン、ノーベル賞受賞。 1929年   4月    アーネスト・ローレンス、サイクロトロンを考案。 1930年    この年、 ワルサー・ボーテとハーバード・ベッカー、         α線をベリリウムに照射して、謎の放射線がでるのを観測(中性子線の観測?)。 1931年   1月18日 ジョリオ・キュリーとイレーヌ・キュリー、         α線をベリリウムにあてる実験中、そばにあったパラフィンから陽子が飛びだしたのを観測。  11月    ハロルド・ユーリーら、重水素を発見。 1932年   2月27日 ジェームズ・チャドウィック、キュリー夫妻の実験を再試し、中性子を発見。   2月    アーネスト・ローレンス、サイクロトロンを完成。  12月    アインシュタイン、ナチスの迫害を逃れ、ベルギーへ。 1933年   4月 6日 シラード、ドイツを脱出して、ウィーンに移る。   4月 7日 ドイツ、ユダヤ人追放の公務員法を施行。          Born, Courant, Franckをはじめとする複数の科学者を、ゲッチンゲン大学から追放する。   5月    シラード、英国へ亡命。   9月 9日 アインシュタイン、英国に渡る。   9月12日 シラード、英国で、中性子による原子核反応の連鎖を構想。  10月 7日 アインシュタイン、アメリカへ亡命。  10月    ソビエトのガモフ、ソルベー会議の直後に、アメリカへ亡命。     この年、ルドルフ・バイエルス、英国へ亡命する。 1934年   1月15日 ジョリオ・イレーヌのキュリー夫妻、人工の放射能を発見。   5月10日 エンリコ・フェルミ、超ウラン元素を予言。   7月    シラード、核の連鎖反応の特許を取得。  10月22日 フェルミ、中性子照射実験で、減速した中性子による放射線を観測。 1935年   2月    ハンス・ベーテ、アメリカへ亡命。   8月15日 シラードの手紙(アインシュタインも署名)、天然ウラン原子炉と共に原子爆弾の可能性を指摘。   8月    エドワード・テラー、アメリカへ亡命。     この年、湯川秀樹、中間子理論を発表。 1936年   1月27日 ニールス・ボーア、原子核は陽子と中性子からなることを発表。   2月    シラード、英国海軍に、核の連鎖反応に関する特許を譲渡する。     この年、宇宙線を発見したヘス、ノーベル賞受賞。     この年、フランシス・アストン、講演で、水素をヘリウムに変換すると1%の質量がエネルギーとして解放されると説明。 1937年   3月30日 大阪帝国大学にサイクロトロン完成。   4月 6日 理化学研究所にサイクロトロン完成。   7月 7日 日中戦争勃発。     この年、ローレンス、220tの大サイクロトロンの計画を発表。 1938年   7月14日 イタリア、ユダヤ人の公職追放を決定。   7月17日 リーゼ・マイトナー、ドイツを脱出し、ストックホルムへ。   8月    エミリオ・セグレ、アメリカへ渡る。  12月22日 オットー・ハーンとフリッツ・シュトラウスマン、中性子によってウランが核分裂を起こすことを発見。  12月    フェルミ、超ウラン元素の発見によりノーベル物理学賞を受賞。また、この月にアメリカへ向かう。     この年、アルフレッド・ニーア、ウラン235と238の含有比率を計測。     この年、ドイツのクルジウスとディッケル、アイソトープ分離法を考案。     この年、ドイツ、A−4(V−2)弾道ロケットの開発を開始。小型ロケットA−5の試験を実施する。 1939年   1月13日 オットー・フリッシュ、トリウムの核分裂を発見。   1月14日 オットー・フリッシュ、核分裂をフィッションと名付ける。   1月16日 ボーア、アメリカに到着する。   1月    オッペンハイマー、核分裂爆弾と核分裂発電を予見したと言われる。   2月 7日 ボーアとジョン・ホイラー、ウラン235 が低速中性子で分裂すると予測。   3月17日 米国、核エネルギーの軍事利用会議開催。   3月    フランスとアメリカでウランの核分裂実験が行われる。   4月29日 ドイツ、核分裂研究を本格化。   5月    ニールス・ボーア、亡命科学者らのために、コペンハーゲンへ移る。   7月 3日 フェルミとシラード、原子炉を構想。   8月 2日 シラード、テラーら、アインシュタインから原子爆弾の可能性について記された手紙を受け取りこれにサイン。   9月 1日 ドイツ軍、ポーランドへ侵攻。第2次世界大戦勃発。  10月11日 ルーズベルト大統領、アインシュタインの原子爆弾についての手紙をアレクサンダー・ザクスから受け取る。  10月21日 米国、第1回ウラン諮問委員会開催。  10月    チャドウィック、天然ウラン原爆を構想。  12月 6日 ウェルナー・ハイゼンベルク、軍部にウラン原爆構想について上申。  12月    エドウィン・マクミラン、分裂実験でウラン内に留まる放射性物質の存在を発見。     この年、ベーテ、核反応による星の熱源を説明。     この年、オットー・フリッシュ、英国へ亡命。 1940年   2月 1日 フリッシュとパイエルス、高濃縮ウラン原爆を構想。   2月29日 ニーア、ウラン235の分離に成功。   2月    米国政府、ウラン実験用黒鉛の購入費用6000ドルを拠出。   3月 2日 ジョン・ダニング、ウラン235 が低速中性子で分裂する事を確認。   4月10日 英国、トムソン委員会設立。   5月10日 ルーズベルト米国大統領、汎アメリカ科学者会議でウラン研究の協力を呼び掛ける。   5月27日 マクミランとフィリップ・アーベルソン、人工放射性元素で最初の超ウラン元素(93番)ネブツニウムを発見。   5月27日 ルイス・ターナー、超ウラン元素の核分裂の可能性を指摘。   6月    ドイツ軍が迫っているため、フランスの科学者ら資材を持って英国へ移る。   6月 3日 ドイツの科学者らが、ハンブルグの施設で中性子の実験に失敗する。   6月    米国、国防調査委員会(NDRC)を開催し、ウラン研究と亡命科学者の排除を決定する。   6月    英国、トムソン委員会をモード委員会と変更。   6月    ソビエト科学アカデミー、ウラン委員会を設立。  10月    日本陸軍、ウラン爆弾について検討。  12月    英米の科学者ら、新元素94番の核分裂を推測。     この年、ソビエトのフロレフとペトロザク、ウランの自然崩壊を発見。     この年、ドイツ、ペーネミュンデで超音速風翼洞実験を開始。 1941年   1月28日 グレン・シーボーグ、マクミラン、セグレら超ウラン元素プルトニウム(94番)238を発見。   3月 6日 シーボーグとセグレ、プルトニウム239を分離。   3月28日 シーボーグ・セグレ・ジョセフ・ケネディら、プルトニウム239の核分裂を確認。   4月    日本陸軍、理化学研究所にウラン原爆の研究を命じる。   5月    ローレンス、ウラン238の利用とプルトニウムによる核分裂連鎖反応の可能性を示唆。   5月    萩原篤太郎、ウラン235について講演する。   6月23日 英国モード委員会、ウラン爆弾の可能性をまとめる。   7月 7日 英国モード委員会、10kgのウラン235で爆弾が作れる構想をまとめ、アメリカの科学アカデミーに伝えられる。   9月    英国、原子爆弾審議会「チューブ・アロイ計画」発足。  10月 9日 ヴァネヴァー・ブッシュ、ルーズベルト米大統領に、モード委員会報告を提出。  10月21日 米国、オッペンハイマーら参加して、スケネクタディー会議。  11月 6日 米国再審査委員会報告で、ウラン原爆の開発は3〜4年以内と。  12月 8日 日本軍、真珠湾を奇襲。太平洋戦争開戦。  12月 9日 米国、プルトニウム原爆研究決定。  12月18日 米国、原爆開発のため、科学研究開発局(OSRD)S-1委員会を発足。  12月18日 ドイツのThiel、複数のロケットを束にした大陸間弾道ロケットを考案。  12月    米国、ウラン235分離用のカルトロン開発が始まる。     この年、フィリップ・アーベルソン、ウラン原子炉の艦艇用動力源研究のため、米海軍へ出向。 1942年   1月24日 米国、原子力研究(パイル計画)をシカゴ冶金研究所に集約する。   3月    新元素93番と94番をそれぞれ、ネブツニウム、プルトニウムと正式命名。   3月    ベリア・ソビエト秘密警察長官、英米の核開発について、スターリンに報告。   4月23日 米国、シカゴ冶金研究所化学会議開催。プルトニウム分離について検討。   4月    シーボーグら、超微量化学実験室を設置。   4月    『フリョーロフの手紙』、スターリンへ提出。          英米の科学論文から核分裂の情報が消えたことにより、核開発が始まったと示唆。   5月14日 ジェームス・コナント、原爆開発研究成果をブッシュ長官に報告。   5月    ハイゼンベルグとDopel、中性子の増殖を初めて観測。   5月    シカゴパイル1号(CP-1)の設計開始。   6月11日 オッペンハイマー、シカゴでの研究担当のグレゴリー・ブライト辞任を受け、後任となる。   6月13日 ブッシュとコナント、「原子分裂爆弾」報告書をルーズベルト大統領に提出。   6月13日 ドイツ、A−4弾道ロケットの試験を行うが失敗する。   6月17日 ルーズベルト米大統領、原爆開発を正式に認可し、プルトニウムの生産を開始する。          カムフラージュのため「代替品開発(DSM)計画」と呼ばれた。   6月18日 マーシャル米陸軍大佐、陸軍工兵隊特別管区を設置。   6月25日 米国、第1回執行委員会(S-1委員会)開催。   8月11日 マーシャル米陸軍大佐、DSM計画を担当管区から、マンハッタン計画と命名。   8月16日 ドイツ、A−4弾道ロケットの発射実験に成功。A−4はロケットで初めて音速を突破。   9月21日 米国、長距離爆撃機B−29初飛行。   9月    シカゴで研究中のシラードら科学者、ストーン&ウェブスター社に対して反発。   9月    英仏原子力秘密協定。  10月 3日 ドイツ、A−4弾道ロケット(V−2)4号機の飛行に成功。  10月15日 ドイツ、A−5有翼型ロケットの実験を行う(その後A−7)。  11月 5日 米軍、ストーン&ウェブスター社に電磁分離法の生産プラント建設を認可。  11月12日 軍事政策委員会開催。ウラン235製造プラント決定。  11月23日 兵器研究所(Y計画)は、ロスアラモスに決定。  12月 2日 シカゴのスタッグ・フィールドの最初の原子炉が臨界。  12月28日 デュポン社、プルトニウム計画を受託。     この年、フェルミ、核の連鎖反応を説明。 1943年   1月15日 米国、クリントンのパイル設計計画(分離実験用資料作成原子炉)開始。   1月    ソビエト、原爆開発開始か。   2月 1日 ハンフォードにプルトニウム生産工場用地を買収。   2月27日 英国軍とレジスタンス、ノルウェーのドイツ軍リューカン重水素工場を爆破。   2月    米国、プルトニウム生産試験用黒鉛減速軽水冷却炉X-10の建設を開始。   3月 6日 日本海軍、原爆開発を断念。   3月15日 ロスアラモス研究所が完成し、オッペンハイマーら、原爆開発を開始。   3月20日 米国アルゴンヌ研究所で、天然ウラン黒鉛炉CP-2が臨界。   4月    セス・ネッダマイヤー、爆縮式原爆を構想。   4月    ドイツ、リューカン重水素工場を復帰。   7月 2日 仁科芳雄 原子爆弾開発は可能と陸軍に報告。   7月22日 英国首脳部、原爆開発情報を米国に求めるため、ダウニング街(10番地)会談を実施。   7月30日 ロバート・ウィルソン、世界中の全プルトニウムをシーボーグに返却。   8月19日 英米原爆開発協定のケベック会議開催。   8月    ドイツ、ペーネミュンデのロケット工場が空襲で破壊される。   9月    ジョン・フォン・ノイマン、ロスアラモスに赴任。  10月    米国、カルトロン完成。  10月    ハンフォードのプルトニウム生産施設建設開始。  11月 4日 米国クリントンの原子炉臨界。  11月16日 英国軍、リューカンのドイツ重水工場を爆撃。  11月29日 長距離爆撃機B−29を原爆搭載用に改造。  12月24日 米軍特殊部隊ALSOS、イタリアへ上陸。  12月31日 オッペンハイマーら、パイルの兵器としての可能性の検討。  12月    宇宙線中性子によるウラン235の核分裂を発見。     この年、ドイツ、大陸間弾道ロケットA−10の計画を始める。 1944年   2月20日 英国軍、リューカンからドイツ本土へ移送中の重水輸送船ハイドロ号を爆破。   3月 1日 クリントン生産のプルトニウムをロスアラモスへ移送。   3月 3日 米国、原爆模擬爆弾による投下テスト開始。   3月27日 ベルギー政府、ベルギー領コンゴのウラン先売権を英米両政府に認める。   3月    オッペンハイマー、原爆実験をトリニティと命名、ケネス・ベインブリッジが責任者に任命される。   3月    米国、ノルマンディ上陸作戦時に、ドイツ軍の放射線攻撃を警戒して、ガイガーカウンターなどを用意。   3月    ベーテとクリスティ、核爆発時に火の玉が生じる可能性を指摘。   4月    ジェームズ・タック、爆薬レンズを考案。   5月15日 米国ANLで世界初の重水減速炉CP-3が臨界。   5月16日 ボーア、チャーチルと会談。   5月    米国LASLで、世界初の濃縮ウラン炉LOPOが臨界。   5月    原爆実験トリニティの実験場をアラモゴルドのホルナダ・デル・ムエルトに決定。   6月 6日 ノルマンディ上陸作戦。   6月13日 ドイツV−1ロケット、ロンドンを空襲。   7月11日 クリントン原子炉生産のプルトニウムにはプルトニウム240が多いと判明。爆発がうまくいかない可能性がでてくる。   7月17日 プルトニウム原爆は、より可能性の高い爆縮型原爆へ計画を変更。   7月    ドイツのビジンゲンにある工場が、核開発関係かと疑われる。   8月 1日 米軍、テニアン島上陸。   8月25日 米軍特殊部隊ALSOS、パリに入り、調査を開始。   8月26日 ボーア、ルーズベルト大統領に対し、原子爆弾の意識的なコントロールについての覚え書きを提出。   8月    ポール・ティベッツ大佐を第509混成部隊長に任命。   8月    カーチス・ルメイ将軍、第20爆撃隊指揮官に就任。   9月 6日 ドイツ、パリへ向けてA−4(V−2)ロケットを2発発射するが失敗に終わる。   9月 8日 ドイツ、V−2ロケットによるロンドン攻撃を開始。   9月19日 第2次ケベック会談で、ルーズベルトとチャーチル英国首相が「ハイド・パーク協定」に署名し、原爆投下を決定。   9月19日 ブッシュとコナント、スチムソン陸軍長官に、戦後の核問題についての覚書を提出。   9月19日 米軍特殊部隊ALSOS、ドイツ未移送のウラン68tを押収。   9月26日 ハンフォードの生産原子炉臨界。   9月    米国、カルトロン稼働。  10月    米軍特殊部隊ALSOS、ドイツ未移送のウラン30tを押収。  11月28日 ハンフォードの施設から大量の照射済スラッグを取り出す。  11月    米軍特殊部隊ALSOS、ドイツの爆弾進行が遅れていることを示唆する文書を確保。  11月    米国、成型爆薬を使用した爆縮実験開始。  12月17日 ハンフォードの生産パイル予備導管にウランを追加装填し臨界に達する。  12月18日 ドイツのフォン・ブラウン、A−4b弾道ロケットの製造を決定(A−9計画)。  12月26日 ハンフォードの照射済スラッグを分離プラントへ搬入開始。     この年、日本の風船爆弾によって、ハンフォードの生産パイルの電源ラインを一時停止する。     この年、シーボーグ、超ウラン元素キュリウムを発見。     この年、翌年にかけて、日本海軍関係者が、上海でウランを大量購入。 1945年   1月 8日 ドイツ、A−4b(A−9)弾道ロケットの発射実験に失敗。   1月16日 ハンフォードでプルトニウムの分離工程を開始する。   1月20日 初めてオークリッジでウラン235を分離する。   1月24日 ドイツ、A−4b(A−9)弾道ロケットの発射実験に成功。   1月    フリッシュ、ウラン235の臨界量を確認。   1月    米国、爆縮用信管完成。   2月 4日 ヤルタ会談。ソ連参戦決定。   2月 5日 ハンフォードで生産されたプルトニウムをロスアラモスへ移送。   2月 7日 米国、爆縮レンズ完成。   2月    米国で、ウラン実験中に事故。死者が出る。   2月    テニアン島を原爆機発進基地と選定。   3月27日 ドイツ、最後のV−2ロケットを発射。英国へは通算1115発が発射に成功し、1054発が着弾。2541人が死亡した。   3月30日 テニアン島の飛行場を整備開始。   3月    ドイツのハイガーロッホで、原子炉運用の実験を開始。   4月10日 米国で、プルトニウムの人体注射実験始まる。76年に発覚。   4月12日 日本の理化学研究所爆撃される。   4月17日 米軍特殊部隊ALSOS、シュツットガルトで大量のウランを押収。   4月23日 米軍特殊部隊ALSOS、ハイガーロッホの原子力研究所を接収。   4月27日 対日原爆投下作戦を検討。   5月 7日 米国、放射性物質を爆破する原爆予備実験100tテストを実施。   5月 8日 ドイツ降伏。   5月10日 米国、第2回標的委員会で標的都市の扱いなどを決定。   5月28日 シラード、バーンズ長官と会談し、原爆投下反対を進言するが受け入れられず。   5月28日 第3回標的委員会。   5月30日 スチムソン米陸軍長官、戦後の日本の反米化を恐れ、標的から京都をはずすよう指示。   5月    ジョセフ・ロートブラッド、ドイツが降伏した以上原爆は必要ないとロスアラモスを去る。   6月10日 第509混成部隊、テニアンに到着。   6月11日 フランク委員会報告書、スチムソン陸軍長官に提出される。          原爆無警告投下の反対、示威爆発の事前公開といった内容で、市民に避難時間を与えようとしたもの。。   6月18日 米国最高作戦会議、対日侵攻オリンピック作戦による死傷者数を検討。推定6万3000人。   6月27日 グローヴス将軍ら、原爆移送作戦計画を立てる。   6月    米国、原爆無警告投下を決定。   7月16日 米国、アラモゴルドで最初の原爆実験 Trinity が実施される。21kt。   7月16日 原爆リトルボーイを載せた重巡洋艦インディアナポリス、テニアンへ向け出港。   7月17日 シラードら科学者、原爆実戦使用反対の書簡を提出。   7月20日 米国、空襲と同時に原爆模擬爆弾「パンプキン」による対日実戦訓練を開始。8月14日まで続行。   7月20日 アイゼンハワー、対日原爆使用不必要を大統領に進言。   7月21日 ハリソン長官、スチムソン陸軍長官に京都を目標に加えるよう提言。   7月24日 ポツダム会談で、トルーマン、スターリンに対し、原爆について語る(スターリンは既知)。   7月25日 トルーマン米大統領、対日原爆使用を指令。   7月26日 ポツダム宣言発表。   7月27日 日本、ポツダム宣言を受信。政府沈黙(理由は定かならず)。   7月30日 原爆輸送を終えた重巡インディアナポリスが、帰途、日本軍潜水艦イ−58の雷撃で沈没。   7月31日 リトルボーイ組み立て完了。   8月 1日 日本政府内部で、玉音放送による終戦計画が密かに検討される。   8月 2日 原爆ファットマン、テニアンに到着。   8月 5日 B-29にリトルボーイ搭載完了。原爆機をエノラ・ゲイと名付ける(機長の母親の名)。   8月 6日 米国、広島にウラン原爆を投下。   8月 7日 米軍のパーネル少将、パーソンズ大佐およびファレル将軍が原爆目標選定の変更を進言。   8月 8日 日本政府の調査団、広島にはいる。   8月 9日 米国、11日の第2回投下予定を繰り上げ、この日小倉原爆投下作戦を実施に移す。         しかし、天候不良と空中会合失敗により予定を変更し、長崎にプルトニウム原爆を投下。   8月 9日 ソビエト、広島の原爆投下を受け、15日対日参戦を繰り上げ、満洲に侵攻を開始。   8月 9日 日本、御前会議でポツダム宣言受諾を決定。   8月10日 日本、スイスとスウェーデンの両政府にポツダム宣言受諾を伝達。   8月10日 日本陸海軍合同研究会、広島に投下された新兵器を原子爆弾と確認。   8月13日 九州大学の調査団、長崎に入る。   8月14日 仁科芳雄ら原子力の専門家が長崎に入る。   8月14日 日本、御前会議で終戦正式決定。レコード「玉音盤」録音。深夜、都心でクーデター発生。   8月15日 軍部のクーデター鎮圧され、日本政府、無条件降伏。第2次世界大戦終結。米国、引き続き対日核攻撃計画を続行。   8月30日 東京帝国大学の医療救援調査団が広島と長崎に入る。   9月 8日 米国、広島で予備調査開始。   9月13日 米国、長崎で予備調査開始。   9月15日 米国、対ソビエト用原爆生産計画を検討。   9月17日 京都帝国大学広島調査団、枕崎台風の上陸で発生した山津波で遭難。   9月28日 米国科学顧問会議、水爆開発に反対。  10月16日 オッペンハイマー、ロスアラモス研究所所長を辞任。  11月 2日 オッペンハイマー、「ロスアラモスへのメッセージ」を講演。  11月24日 米軍、日本国内の5基のサイクロトロンを海中投棄。  11月    弾道計算用コンピュータ「エニアック」開発。  12月24日 ソビエト、核開発開始を米国へ通達。     この年、シーボーグ、超ウラン元素アメリシウムを発見。     この年、米国、大陸間無人航空機(後の巡航ミサイル)の検討を開始か。 1946〜60年の年表へ進む 目次へ戻る