キ−74について


旧陸軍の試作遠距離爆撃機キ−74の部隊についての情報を探してます。何かご存じの方がありましたら、メールへご一報ください。
kitsch@netlaputa.ne.jp
 
※航空雑誌の歴史グラビアに載っているクラスの基礎情報はすでに手に入れております。
※以下の点について該当・関連する情報を特に探しております。
※以下の点は、曖昧な情報が含まれてます。
 
 1、1945年7月1日〜8月15日に福生飛行場(多摩飛行場)にいて、訓練を受けた小部隊。人数は20名ほど。8月23日に解散。
 2、部隊の教育施設は営門の近くにある二つ並びの兵舎のひとつ(営門側)を使い、それは航空審査部の斜め方向に位置した。
 3、小部隊のメンバーの宿泊所は、基地の西方の丘にあった小さなお寺。名前は不明。お寺と基地との間には鉄道線路と小川(玉川上水?)があった。
 4、宿泊所のお寺は、裏の少し離れたところにB−29から投棄された大型爆弾の爆風で家根を壊されている。投棄したB−29は編隊から離れ、飛行も不安定だった。損傷を受け、積み荷の爆弾を投棄したものか。8月の5、6日頃と思われる。
 5、爆弾のあとで部隊のメンバーでお寺の庭に防空壕をほっている。終戦後、同メンバーで埋め戻したようだ。
 6、このお寺が現在も同じ位置にあるかどうかは不明。
 7、訓練使用機はキ−74で、週に2回くらい八日市からキ−74に乗せて教官が来ていた。
 8、部隊は、八日市、甲府(?)、福生の三ヶ所に分かれており、八日市はパイロットの教育を、福生では機上整備(気密室、機関など)の教育を受けていた。
 9、メンバーには具体的な部隊名などは秘密になっていたらしい。
10、メンバーの募集は、『軍事機密(※)』扱いで航空総軍の各航空隊宛に出されたようだ。メンバーは各部隊からの「派遣」(出向みたいな扱い)となったらしい。(※…機密のひとつ。「機秘密室」に置かれる)
−追加情報−
11、終戦後の8月19日頃に米軍の部隊が降りてきて、実験機の類を梱包したという話があります。21日頃に米兵は引き上げたという。進駐接収の前のことなので、一般の歴史書には見あたりませんが、これについても情報を探してます(どの基地でも構いませんが、立川か福生の情報があれば特に助かります)。
 
 
※以上の関連情報以外にも、キ−74を使って行われた訓練などについての情報を探しておりますので、ご存じの方はお知らせください。
 
目次に戻る